校長室から

学校評価(中間)アンケート結果から感じること(校長室から)

2020年7月30日 17時51分
保護者向けの話

 学校評価(中間)アンケートにご協力いただき、ありがとうございました。向笠小の教育に大きな期待を寄せていただいていることが分かり、身の引き締まる思いをしました。詳細につきましては、後日お知らせすることとして、アンケート結果から私が強く感じたことのみ書かせていただきます。

 私は、職員に対して「すべては子ども理解から始まること、そして学ぶことや学びの場である学校が楽しいことが基本である」と常に言い続けてきました。「子どもたちは、学校が楽しいと思っている」では、子どもは約94%、保護者は約97%が肯定的な回答をしています。さらに、「向笠小の教師は、子どものことを理解して指導にあたっている」では、子ども・保護者ともに約96%が肯定的な回答をしています。これらを見ると、ホッと一安心というところですが、逆に数パーセントの子どもは、学校が楽しいと感じておらず、理解されていると感じられないということです。これら一人ひとりの子どもの気持ちにさらに寄り添う必要も強く感じます。


 文章記述する意見欄には、「補充・発展学習」に関して実に多くの方に意見を寄せていただきました。保護者の皆様に高い関心を持っていただいていることも分かり嬉しく感じました。
 この時間を本年度から日課表に位置付けた思いは、「日課表の工夫 その3「補充・発展学習の時間」について」(校長室から)の中で述べたとおりです。ここに書いた思いは今も全く変わりはありません。ただし今年度始めたばかりの取組ですので、今後も試行錯誤しながら子どもたちにとってさらに実りある時間に育てていきたいと考えています。

 中には「やりたいと思う子が好きなことをただ楽しんでいるいるだけではないのか」「新型コロナウイルス感染症の影響で不足した時間数を補う時間ではないのか」といった意見もありました。


 まず、この時間は、新型コロナウイルス感染症とはまったく関連のないものであり、来年度以降も充実発展させていきたい取組の一つであるということはご理解いただきたいと思います。さらに全員参加ではないので、授業時数としてのカウントもしないということになります。


 さらに、子どもの自主性に任せ、やりたい子が残るというやり方について今後も継続したいとも思っています。「やりたくもないのに残される」「勉強させられる」などと受け身な気持ちで参加しても効果は得られないと考えているからです。これまでの取組を見ても、ホームページでお伝えしている通り、授業とはまた違った学習への取組の様子が見られているのも確かです。


 ただし、さらに「精度を高める」ことは必要だと強く感じているのも確かです。「補充・発展学習」は、あくまで各教科等の授業と深く関連しているものです。授業の振り返りを行う中で、一人ひとりの子どもが、何が分かって何が分からなかったのかを、自分自身で認識できることが大事なのです(このことは、新学習指導要領でも強く求められていることです)。それが分かれば、「ここが分からなかったから、今度の補充・発展学習のときに先生に聞いてみよう(補充)」「授業で学習したことをもっと深く調べてみたくなったから、今度の補充・発展学習のときに調べてみよう(発展)」と新たなめあてがもてるようになるはずです。こういった「振り返り」⇒「自分を見つめる」⇒「新たなめあてを持つ」の思考の流れができるようになることを「精度を高める」といったのです。これだけのことを子どもができるようになるには、もう少し時間が必要です。温かく見守っていただけると嬉しいです。


 なお、学校全体としての方向性は以上となりますが、実際に各学年でどのような内容を学習するのかといったことについては、各学級担任と学級の子どもたちとのやり取りの中で決められるものです。2学期以降は、学年だよりに「補充・発展学習」における各学級担任としての思いや取組内容についても掲載する予定ですので、そちらをご覧いただき、ご意見などいただければありがたいです。

市内での感染者発生の報を受けて考えること(校長室から)

2020年7月27日 10時58分
保護者向けの話

 天気もすっきりとしない中、この連休中には、磐田市内で新型コロナウイルス感染者が発生したとの報道も出されました。さらに市長メッセージとして、「①正確な情報に基づいた冷静な対応をお願いしたいということ、②近隣であっても感染が拡大している地域への不要不急の外出は我慢するとともに感染防止対策を改めてお願いしたいということ、③個人の尊厳を損なうような行動や誹謗中傷に繋がることがないこと」の3点が発せられました。

 本校では、5月18日(月)からの学校再開準備週間を含め、現在までほとんど欠席者もなく登校できています。日に日に子どもたちの笑顔も増え、60分授業や補充・発展学習、ファミリータイムなども思った以上に順調に進み、子どもたちは概して意欲をもって一つ一つのことに取り組んでいます。私の切なる願いは、今後もそうした子どもたちの笑顔を途切れさせないことだけです。


 そのために、学校においてはこれまで通り感染症対策を進めていきますので、保護者の皆様におかれましても、夏休み期間中においても感染が拡大している地域への不要不急の外出等は避けていただけますようご協力をお願いします。子どもたちを一人たりとも感染させないよう、連携した取組をお願いしたいと思っています。


 さらに、2学期には、運動会(10月24日)、ファミリーウォークラリー(11月21日)、持久走記録会(12月3日)といった全校行事に加え、5年生対象の観音山自然体験教室(11月11日~13日)があります。3学期には6年生対象の修学旅行(3月2日~3日)も予定しています。


 これまで何度も書いてきましたように、子どもたちの自主性・自治性・たくましさに加え、地域等への貢献の姿勢を育てるうえで、こういった行事をとおした体験活動はなくてはならないものであると考えており、予定通り実施していきたいというのが私の切なる思いです。


 ただし、安全性の担保と、子どもたちや保護者の皆さんの安心を得られなければ、実施は難しいとも考えています。そこで、これらの大きな行事を実施するに際して、磐田市から出される対応基準等を参考にすることはもとより、事前にPTA3役を含め、関係役員等には学校の考え等をお諮りして実施の可否並びに実施方法について決定していきたいと考えています。


 最後になりますが、これ以上、市内における感染者が増えることがないことを強く願うとともに、どのような状況になろうとも、市長メッセージにもあるように、犯人捜しや誹謗中傷等のない冷静かつ温かな対応ができる向笠小学校でありたいと思っています。

教師の仕事を一言で言えば…(校長室から)

2020年7月23日 09時45分
保護者向けの話

 ウチの学校の先生たちは、私から見ても真摯に子どもたちに向き合っていると思う。こういった先生たちの姿を見ていて、私が感じる「教師の仕事とは…」を連休初日のゆっくりした時間に書いてみたくなった。

 教師の仕事は、一言で言えば「裏方」である。


 子どもが学校で活動をしている、いわゆる授業であったり学校行事であったりするときは、教師はどこにいるのか分からない、いたと思ったらやけに暇そうにしていた・・ぐらいがちょうどいいと思っている。

 基本的に、子どものみならず人間は、昨日より今日が良くなっていたい、成長していたいと願う動物だと私は思っている。子どもは、学校という無限の可能性を秘めた場所で、何かを懸命に探究し、自分なりに表現しようとする。そういった懸命な活動を、教師は邪魔してはいけないと思ってきた。
 
 では、教師は何をするのか。子どもの言動に隠れた真実の思いを探るのである、まるで探偵のように。そして機会をみて、その思いを表舞台に登場させるべくコーディネートするのである。一方、全体が進もうとする方向とずれた方向に進もうとしている子どもがいたら、場合によっては一旦表舞台から退場させ個別に指導・支援を行う。あとは子どもたちの反応を楽しんで見ていれば良いのである。時に大人が考え付かないような面白い発想が飛び出すことがあり、そんな時は、教師は心からその発想に感動し、子どもと一緒に楽しめばいいと思う。

 「裏方」なので、授業や行事に至るまでの事前準備は念入りに行う。どんな言葉を教師が投げかけると最も子どもが良い反応を示すだろうか、今日の授業ではA君が「わかんな~い」と言い出すだろうからこれを準備しておこうか、とか様々な妄想をするのだ。この妄想がまた楽しいのだ。頭の中ではすでに子どもたちが実に楽しそうに授業に熱中している姿を想像しているのである。でも、本番の授業ではこういった妄想どおりに進むことは少ない。だから、授業後に1人反省会を行う。「どこが悪かった」「今度は違った切り込み方をしてみようか」など。この反省会が教師の力量を伸ばすとも考えている。

 一方、運動会等の行事でも同じことが言える。準備は、子どもたちと長い期間をかけて行う。行事が子どもたちにとって自分事になるまでには、それ相応の期間と地道な取組が必要なのである。中でも子どもたちとの話し合い活動を通していろいろなことを決めていく、意思統一していく過程ではついつい教師は上から口を挟みたくなる。しかし、そこはぐっと我慢して「建設的な議論」の方法を教え支援していくのである。こういったことができれば、本番は表舞台としての教師の出番はない。まさに安全を確保すべく、目と頭だけが絶えず動いていることとなる。

 こんなふうに考えているので、私は学校の先生として勤めている時間を「仕事をしている」という感覚で捉えたことはあまりない。「あまり」と言ったのは、リスクマネジメントに関して言えばこれは仕事だと思って緊張感をもっているからである。



 体の力を抜いて、ゆったりとした気持ちで、子どもの心の声を聴く・・そして子どもの反応を楽しむ、これが私がこれまで教師として歩んできた中で大事にしている姿勢である。

子どもの優しさの根源は・・(校長室から)

2020年7月21日 12時47分
保護者向けの話

 私は、子どもたちの多くの優しさに包まれているという感覚を持っており、本当に幸せだと思っています。下の写真は、先日、4年生の女の子がエノコログサ(通称猫じゃらし)を、1年生の女の子がセミの抜け殻を別の機会にくれたもので、今の私の宝物です。どちらも、最高の笑顔と一緒にくれたプレゼントなので、大事に校長室に飾ってあります。

 
 これだけではありません。毎朝、校門の落ち葉を掃いていると、「おはようございます。いつもありがとうございます。」と一言を添えて大きな声で言ってくれる子どもたちがいます。さらに、「この前、校長先生のこと、かがやきカードに書いておいたからね。」と言ってくれる子もいます。朝から、こんなふうにとびきりの笑顔とともに、優しい言葉をもらうと、「今日も頑張ろう」と元気が出ます。
 
 優しいのは、何も私にだけではありません。2年生の育てている鉢には、ミニトマトや茄子が見事にできています。植物は勝手に育つわけでなく、毎日の水やりなどを欠かさず行わなければいけません。登校した子どもたちは、教室にランドセルを置いた後、走って昇降口を出て水やりを欠かさず行っています。植物や自然に対する優しさを持ち合わせている子どもたちだなあと感心するばかりです。


 
 もう一つだけ紹介します。6月に「心のアンケート」を実施しました。その中に「先生に伝えたいことがあったら書きましょう」という項目があるのですが、2年生の男の子で、「ぼくはスリッパの整とんを1年以上やっています。みんなが気が付けば、気持ちのよいトイレになると思います。」と書いてくれた子がいます。とかく、人間は目立つことや自分の得になることには目が向きますが、他の子が気持ちよくなるようにとトイレのスリッパの整とんを1年以上行うといった優しい子もいるのです。

 こういった本校の子どもの優しさの根源は何だろうと考えることがあります。その答えのすべてを私は分かりませんが、たぶん小さい頃からの様々な経験の中で学んだ証だとは想像できます。例えば家庭の中で、子どもたちが大人から受けてきた優しさを他の人にお返ししているというのもあるでしょうし、学校や地域で自然環境について学ぶ中でそこにも命が息づいていることを知るということもあるでしょう。
 子どもの優しい姿というのは、本校の宝だと思っていますし、学校においてもさらに伸長したいことだと思っています。

「生きている」授業は採掘作業のよう(2年と4年の授業から)

2020年7月20日 12時15分
保護者向けの話

 前回、本校ホームページの中で、「授業が生きていると感じられる授業がいい授業であり、それは思い思いに好きなことを言っているだけでは、質の浅いものと言わざるを得ない」と書かせていただきました。

 2年生の国語「あったらいいな こんなもの」では、思考ツールを活用しながら、学校や家、外などで自身の困ったことを思い出して書いてみるといったことを行っていました。今後の表現活動を行う上での材料探しをするわけですが、まさに自分だけの世界に入り込む真剣な表情が見られました。時々、独り言のように「この前、○○があって…」みたいに呟くと、それを聴いていた他の子が「ああ、そういうことなら私もあった」という顔をしてワークシートに向かうようなことも見られました。


 4年生の国語「新聞をつくろう」でも同じようなことを見ることができました。新聞に書くための材料は既に総合的な学習の時間に調べたものがあります。本時は、新聞を作るうえで大事なことを全員でまとめた後は、個別での作業となります。写真を見て分かるように、それぞれが頭をフル回転させて文章を書こうと真剣に取り組んでいます。


 2つの授業とも、実に奥の深い「生きている」授業だと言えるでしょう。こういう取組は、何だか、掘って掘ってお宝を探し当てるような採掘作業と似ていると、私はよく思います。掘り当てるものは、子どもによって違います。ある子は「へえ」と思える知識かもしれないし、またある子は「自分にもこんなことができるんだ」と自身の可能性に気づくかもしれません。


 

学校と家庭の素敵な関係(校長室から)

2020年7月16日 12時36分
保護者向けの話

 私は、若い頃から参観会とか懇談会とかあると何だかウキウキワクワクしちゃうし、家庭訪問などはいろんなお宅で話がはずんじゃって後ろのお宅に迷惑をかけたことも一度や二度ではありません(本当は良くありませんが・・)。

 保護者と教師が笑顔で気軽に話せる関係を築けると、そのことが子どもにとっては最も安心する環境になることを私は経験の中で知っていたからです。さらに言えば、家庭の中で、親が先生のことをよく言ってくれているのは、学級で子どもを見ていても分かるものです。(逆に言えば、どんなに子どものことを思っていても、保護者との関係を崩すと、子どもに悪影響を及ぼすことも経験の中で知っています)

 極端な言い方に聴こえるかもしれませんが、いつしか私は、子どもの成長を植物に例えると分かりやすいなと考えるようになりました。
 適度な湿り気をもった土や空気等は植物にとって生きるための土台となるもので、いわば子どもにとっての家庭と同じです。一方で、太陽や適度な気温や湿度、添え木等は植物が芽を出した後、元気に育つために必要なもので、いわば子どもにとっての学校と同じだと思うのです。つまり、どちらか一方だけあれば事足りるものではなく、家庭も学校も子どもにとって大切な役割を果たしているということです。

 そういう意味で、学校と家庭は「一人の子どもの可能性を伸ばし、立派に成長させる」という共通の目的のもと、程よい緊張感を保ちながら、連携・協力できるといいなと考えています。

 でも、そうは言っても子どもを育てるというのはそう簡単なことではありません。学校においても、「どうやってこの子に話せばわかってくれるのだろう」「どんな指導をすれば理解できるのだろう」と一人の子どもの指導・支援方法に悩み、関係職員で話し合うことはしょっちゅうあります。そんな時、私は「家庭に相談してみようよ」と先生たちに話します。あくまで「お願い」ではなくて「相談」です。学校での表れをお伝えするとともに、家庭では同じような表れはないのか、あるとすればどんな声掛けをしているのかなどを聴きながら、学校と家庭でできることを一緒に探っていければと思っています。

 一方で、家庭において子育てに迷ったり困ったりしたときには、気軽に学校に相談をかけてほしいなあと思っています。本校の子どもたちは、概して小さい頃から大人からの愛情を受けて育っていることが伺え、そのため情緒が安定し素直で優しい子どもが多いと感じています。そんなご家庭においても子育てに悩むことはあるのではないかなと思うのです。私も2人の娘を持つ父親として25年間やってきましたが、その間、順調だったなどと言うつもりはありませんし、常に迷いながら親業をやってきました。もし相談していただければ、その内容は学校での指導や支援をする際の参考にもなると思うので、大変助かります。

 これからも、学校と家庭は、お互いに気軽に相談しあい、そして「ありがとう」と言い合えるような、いい関係を続けていければと思っています。よろしくお願いします。

子どもに「寄り添う」とはどういうことだろう(校長室から)

2020年7月14日 14時00分
保護者向けの話

 皆さんは、灰谷健次郎(昭和9年10月31日 - 平成18年11月23日)という作家をご存じでしょうか。神戸市立公立学校教員を17年間勤めた後、作家に転身、「兎の眼」「太陽の子」「天の瞳」など多くの小説を世に残します。
 私は、教師になりたての頃、同氏の本を夢中になって読んだことを思い出します。最近、ふとした拍子に、屋根裏の書庫から、もう一度同氏の本を引っ張り出して読むことがあります。ここでは、同氏の著書の中で紹介されることも多い「チューインガム一つ」という詩を紹介しながら、子どもに寄り添うとはどういうことかを考えてみたいと思います。

チューインガム一つ
         
せんせい おこらんとって
せんせい おこらんとってね
わたし ものすごくわるいことした


わたし おみせやさんの
チューインガムとってん
一年生の子とふたりで
チューインガムとってしもてん
すぐ みつかってしもた
きっと かみさん(神様)が
おばさんにしらせたんや
わたし ものもいわれへん
からだが おもちゃみたいに
カタカタふるえるねん
わたしが一年生の子に
「とり」いうてん
一年生の子が
「あんたもとり」いうたけど
 わたしはみつかったらいややから
 いややいうた


一年生の子がとった


でも わたしがわるい
その子の百倍も千ばいもわるい
わるい
わるい
わるい
わたしがわるい
おかあちゃんに
みつからへんとおもったのに
やっぱり すぐ みつかった
あんなこわいおかあちゃんのかお
見たことない
あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない
しぬくらいたたかれて
「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」
おかあちゃんはなきながら
そないいうねん


わたしひとりで出ていってん
いつでもいくこうえんにいったら
よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい
どこかへ いってしまお とおもた
でも なんぼあるいても
どこへもいくとこあらへん
なんぼ かんがえても
あしばっかりふるえて
なんにも かんがえられへん
おそうに うちへかえって
さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん
けどおかあちゃんは
わたしのかおを見て ないてばかりいる
わたしは どうして
あんなわるいことしてんやろ


もう二日もたっているのに
おかあちゃんは
まだ さみしそうにないている
せんせい どないしよう

 
 この詩は同氏が担任をしていた小学校3年生の女の子の詩だそうです。文章や詩を書くことが得意な子どもなのかといえば、決してそうではなかったそうです。初め、「チューインガムを盗んだ。もうしないから、先生、ごめんしてください。」という意味の簡単な紙切れをもって母親と一緒に同氏の元に来たそうです。彼女に対して「本当のことを書こうな」と一言言って、母親には帰ってもらって、彼女と二人きりになったそうです。
 彼女は、一言書いては泣くし、一行書いては泣く、泣いている時間の方がはるかに多かったというのです。さらに彼女と同氏の間で、言葉のやり取りは全くなかったというのです。

 教師にとって、これほど辛く苦しい時間はなかっただろうと想像します。許しを乞う子どもを目の前にしたら、「分かったよ。もう同じことしちゃダメだよ。」と言ってあげたら、どんなに楽でどんなに優しく見えるでしょう。でも、許してあげることで、子どもが自分の内面を見つめるという作業を奪ってしまうことにもつながります。

 

 悪いことをするというのは人間の恥部をさらすことであり、できれば隠しておきたいと思うものです。ましてや、自身の良くない行為が見つかった後、自身を見つめることは最も苦痛な作業であり、できれば避けて通りたいと思うのは、大人でも子どもでも変わらないでしょう。でも、このことをやらないと、人間としての成長は難しいことも、大人なら誰しも分かることです。

 「わたしがわるい その子の百倍も千ばいもわるい」「わたしは どうして あんなわるいことしてんやろ」「せんせい どないしよう」と自分を見つめ、次からどうしたらいいのかを考えることこそ、子どもの成長には欠かせない作業だと言えます。

 同氏は、著書の中で次のように述べています。「あの作品が生まれるまでに彼女はどれくらいひどい血だらけの格闘をしたか。それはまた同時にぼくが血だらけになるということでもあるわけです。(中略)その辛さをお互いに耐え抜くことが、教師と子どものたった一つのどうしても抜きがたい関係だというふうに考えているわけです。」

 私は、これまで教師としても、親としても、これほど真正面から子どもと格闘したことがあっただろうか、反省しきりです…。

「授業が生きている」と感じる瞬間(校長室から)

2020年7月13日 13時06分
保護者向けの話

 子どもたちが学校にいる時間の中で、「授業」は最も長い時間を占めています。これが、「教師は授業で勝負する」と言われる所以です。昨年度末の学校評価アンケートの中には、「子どもたちを引き付ける工夫のある授業で興味関心をもって学習に取り組める学校であることを望む」「子どもの興味がわく授業をすれば、もっと勉強が楽しくなると思う」などの手厳しい意見を書いていただいた方もいました(こうやって書いていただけるのは、学校への期待の表れだと思っていますので、とても嬉しいことだと捉えています)。

 先生たちは昨年度以上に学年団での話し合いも熱心に行い授業改善に取り組んでいます。私は毎日、ふらりと各学級の授業を参観させてもらっていますが、授業改善の成果は確実に出始めているように感じています。
 下の写真は、本日3校時の3年生と5年生の社会科の授業風景です。調べたいと思ったテーマごとにグループを作り、話し合っているところです。どの写真も子どもたちの真剣な表情が写し出されています。5年生の教室に入った瞬間、「テストをやっているのかな」と思うほどしーんと静まりかえっていて、一人学びもしっかりできていました。


<3年生の授業風景>


<5年生の授業風景>

 どんな授業がいい授業なのか・・一言で言えば、「生きている授業」なんだろうと私は思っています。「生きている」とは、みんながいっぱい発表していることとは少し違います。思い思いに好きなことを言っているだけでは、まだまだ授業の質とすれば「浅い」のです。一人ひとりがじっくり考え「分かった」と明るい表情になる、たどたどしくも友達に自分の思いを伝えることができて「自分にもできた」と思える、友達の考えを聴いて「なるほど」「へえー」と思わず呟きの声が出る、そんなふうに1時間の授業の中で子ども自身が「変わる」ことができる授業が「授業が生きている」のだと考えます。さらに言えば、教師も、子どもの発言を聴いて「その考え、もっと聴かせて」「その考え方はすごくおもしろいね」と感動できる授業は、まさに「生きた授業」と言えるでしょう。

 ぜひ、お子さんが家に帰ったら聞いてあげてください、「今日は、学校で新しい発見ができた?」と。

学年の枠を超えた「運動会」のあり方を考える(校長室から)

2020年7月10日 11時18分
保護者向けの話

1 はじめに
 これまでもお伝えしている通り、今年度は「異学年交流(ファミリー活動)」を学校経営の柱の一つとしています。日課表に「ファミリータイム」を週2回設定したこと、ピアサポート講習会もファミリーグループで行ったことなど様々な取組を進めています。(本音を言えば、2学期から給食もファミリーグループでと考えておりましたが、感染症対策のため目途が立たず忸怩たる思いをしています)
 大きな行事も異学年交流の重要な機会ととらえています。当日だけでなく、企画運営の段階から異学年でのかかわりを深めることで、低学年は高学年をロールモデルとして憧れを抱き、高学年は低学年から認められ自己肯定感を高められることを期待しています。
 運動会についていえば、感染症対策の一環で休校措置を講じたことから、5月から10月24日(土)へと実施日を変更しました。平成18年度までは秋に運動会を実施していましたので、春から秋への移動は14年ぶりということになります。
 春の実施であれば、運動会をきっかけに異学年の子ども同士の仲が深まることを目的にするのですが、秋に移動したということで、運動会の目的もこれまでの異学年交流の取組の成果を保護者や地域の方々にお見せすることにシフトチェンジすることになります。

2 今年度の主な取組について
 種目や日程等詳細については後日職員会議でつめていきますが、大きな方向性については概ね以下のように考えています。
(1) プロジェクトチームの編成
 1年生から6年生までの代表児童を募り、プロジェクトチームを編成する予定です。本チームにおいてファミリー種目を3種目程度決めていきます。種目を決めた後も、全校児童への周知、練習、当日の進行等も本チームの子どもたちにお任せします。子どもたち自身で運動会という一大行事を作り上げる喜びを味わってほしいと考えています。
(2) 紅白対抗からファミリー対抗へ
 ファミリーグループで作戦を立て、練習を重ね、お互いに応援する・・そうすることでグループでのまとまりが高まることを期待しています。運動会でのモチベーションを高めることの一つに「得点」があると考えます。今年度は、紅白対抗からファミリー対抗にすることで、「得点を上げるためにどうすればよいか」とより話し合いも進むのではないかと考えています。
(3) ひるがえれ!夢ファミリー旗について
 この種目は、平成3年度から約30年間、運動会での縦割り種目として行われてきました。しかし、本種目は地面にくぎを打ちつけることや高い棒の上に旗を取り付けるなど安全上のリスクがあること、当日は一人ひとりの子どもが活躍する時間は限られ見ているだけの場面も多いこと、上記のとおり今年度は企画運営の段階からファミリーでの活動を行うこと などの理由から、「ひるがえれ!夢ファミリー旗」は実施しないということにします。ただし、何度も申し上げるように、方法は変更しても「異学年での交流の機会充実」という目的はこれまで以上に達成できるものと考えております。

<昨年度の「ひるがえれ!夢ファミリー旗」の様子>

3 おわりに
 10月実施ということで、昨年度より熱中症のリスクは減るのかもしれませんが、一方で新型コロナウイルス感染症への対策は十分に講じていく必要があります。今後、参観の仕方や種目等への参加の仕方など保護者や地域の皆様にお願いをしていくこともあろうかと思いますが、何卒ご協力をよろしくお願いいたします。

過去からの思わぬ「お手紙」が…(校長室から)

2020年7月9日 07時34分
保護者向けの話

 先日、3階パソコン室の黒板をホワイトボードに張り替えました。これは、チョークの粉が舞わないという衛生面はもとより、パソコンで作ったプレゼン資料を簡単に投影できるという機能面も考えての工事でした。

 びっくりしたのは、黒板を取り外した後の壁面いっぱいに、何やらたくさんの文字が書いてあるのです。よく見ると、「1983年1月29日(土)」という言葉が何か所か書かれていること、「向笠小さようなら ありがとう」「新校舎こんにちは 木造校舎さようなら」などの文字も見えます(名前や住所も書かれていましたので、これは目隠ししています)。

 学校沿革誌等を調べると、それまで現在の向笠交流センターが建っている場所にあった木造校舎から、現在の校舎に改築したのが1983年(昭和58年)3月ということになっています。そうすると、ここに書かれたのは、新校舎に移ってくる前、教室に黒板がはめ込まれる前に、当時の先生と子どもたちが記念に好きなことを書こうということになったのかもしれないなと想像します(現在のパソコン室は、昭和58年度には5年生の教室として使用されています)。


<昭和55年当時の旧校舎全景写真です>

 壁面の文字をじっと見ていると、明るい笑顔と、はしゃいだような、それでいてちょっぴり寂しそうな、そんな声まで聞こえてきそうです。と同時に私たちは遠い過去から、愛すべき場所である「学校」というバトンを引き継いで現在をひた走っているという責任の重さみたいなものも感じます。多くの人々が愛し育てたこの向笠小学校を、私たちは守り育てなければと改めて感じた一瞬でした。

 これを書かれたのは、今から37年前となりますので、現在は40代後半になられていることでしょう。この当時のお話を聴かせていただける機会があると嬉しいなあなどと思っています…



…上記のページを掲載して間もなく、昭和58年当時に本校にお勤めになられた先生からご連絡をいただきました。その先生によると、「新校舎の完成前に当時の校長先生が配慮してくださり、みんなで書いた覚えがある」とのことでした。まさに粋な配慮をしていただいたなあと思うと同時に、もしかすると他の教室の黒板の後ろにもこういったメッセージが残されているのかもとワクワクしてしまいます。