「生きている」授業は採掘作業のよう(2年と4年の授業から)
2020年7月20日 12時15分 前回、本校ホームページの中で、「授業が生きていると感じられる授業がいい授業であり、それは思い思いに好きなことを言っているだけでは、質の浅いものと言わざるを得ない」と書かせていただきました。
2年生の国語「あったらいいな こんなもの」では、思考ツールを活用しながら、学校や家、外などで自身の困ったことを思い出して書いてみるといったことを行っていました。今後の表現活動を行う上での材料探しをするわけですが、まさに自分だけの世界に入り込む真剣な表情が見られました。時々、独り言のように「この前、○○があって…」みたいに呟くと、それを聴いていた他の子が「ああ、そういうことなら私もあった」という顔をしてワークシートに向かうようなことも見られました。
4年生の国語「新聞をつくろう」でも同じようなことを見ることができました。新聞に書くための材料は既に総合的な学習の時間に調べたものがあります。本時は、新聞を作るうえで大事なことを全員でまとめた後は、個別での作業となります。写真を見て分かるように、それぞれが頭をフル回転させて文章を書こうと真剣に取り組んでいます。
2つの授業とも、実に奥の深い「生きている」授業だと言えるでしょう。こういう取組は、何だか、掘って掘ってお宝を探し当てるような採掘作業と似ていると、私はよく思います。掘り当てるものは、子どもによって違います。ある子は「へえ」と思える知識かもしれないし、またある子は「自分にもこんなことができるんだ」と自身の可能性に気づくかもしれません。