校長室から

教師の仕事を一言で言えば…(校長室から)

2020年7月23日 09時45分
保護者向けの話

 ウチの学校の先生たちは、私から見ても真摯に子どもたちに向き合っていると思う。こういった先生たちの姿を見ていて、私が感じる「教師の仕事とは…」を連休初日のゆっくりした時間に書いてみたくなった。

 教師の仕事は、一言で言えば「裏方」である。


 子どもが学校で活動をしている、いわゆる授業であったり学校行事であったりするときは、教師はどこにいるのか分からない、いたと思ったらやけに暇そうにしていた・・ぐらいがちょうどいいと思っている。

 基本的に、子どものみならず人間は、昨日より今日が良くなっていたい、成長していたいと願う動物だと私は思っている。子どもは、学校という無限の可能性を秘めた場所で、何かを懸命に探究し、自分なりに表現しようとする。そういった懸命な活動を、教師は邪魔してはいけないと思ってきた。
 
 では、教師は何をするのか。子どもの言動に隠れた真実の思いを探るのである、まるで探偵のように。そして機会をみて、その思いを表舞台に登場させるべくコーディネートするのである。一方、全体が進もうとする方向とずれた方向に進もうとしている子どもがいたら、場合によっては一旦表舞台から退場させ個別に指導・支援を行う。あとは子どもたちの反応を楽しんで見ていれば良いのである。時に大人が考え付かないような面白い発想が飛び出すことがあり、そんな時は、教師は心からその発想に感動し、子どもと一緒に楽しめばいいと思う。

 「裏方」なので、授業や行事に至るまでの事前準備は念入りに行う。どんな言葉を教師が投げかけると最も子どもが良い反応を示すだろうか、今日の授業ではA君が「わかんな~い」と言い出すだろうからこれを準備しておこうか、とか様々な妄想をするのだ。この妄想がまた楽しいのだ。頭の中ではすでに子どもたちが実に楽しそうに授業に熱中している姿を想像しているのである。でも、本番の授業ではこういった妄想どおりに進むことは少ない。だから、授業後に1人反省会を行う。「どこが悪かった」「今度は違った切り込み方をしてみようか」など。この反省会が教師の力量を伸ばすとも考えている。

 一方、運動会等の行事でも同じことが言える。準備は、子どもたちと長い期間をかけて行う。行事が子どもたちにとって自分事になるまでには、それ相応の期間と地道な取組が必要なのである。中でも子どもたちとの話し合い活動を通していろいろなことを決めていく、意思統一していく過程ではついつい教師は上から口を挟みたくなる。しかし、そこはぐっと我慢して「建設的な議論」の方法を教え支援していくのである。こういったことができれば、本番は表舞台としての教師の出番はない。まさに安全を確保すべく、目と頭だけが絶えず動いていることとなる。

 こんなふうに考えているので、私は学校の先生として勤めている時間を「仕事をしている」という感覚で捉えたことはあまりない。「あまり」と言ったのは、リスクマネジメントに関して言えばこれは仕事だと思って緊張感をもっているからである。



 体の力を抜いて、ゆったりとした気持ちで、子どもの心の声を聴く・・そして子どもの反応を楽しむ、これが私がこれまで教師として歩んできた中で大事にしている姿勢である。