保護者向けの話
最近、子どもたちの笑顔を見て、私もこんな素敵な笑顔が作れているだろうかと不安に思うことがあります。
私は、ヒトが作る笑顔には、2種類の笑顔があると思っています。1つは、相手の心まで温かくしてくれるような「明るい笑顔」、もう一つは相手を蔑んだりバカにしたりして笑う「暗い笑い」です。先に素敵な笑顔と評した子どもたちの笑顔は、言うまでもなく前者の「明るい笑顔」です。
相手を蔑む心の裏には、自己肯定感の低さが隠れています。自分自身が努力し達成感や充実感を得られれば自己肯定感は高まっていくものです。しかし、自身にそのエネルギーがなく、「どうせやっても成功するはずがない・・」と思う人の心は、自己防衛反応として相手を蔑み低く見ようと思い込むことで、自己肯定感を何とか保とうとします。
本校の子どもたちからは、相手をバカにしたり蔑んだりするところをあまり見ません。この理由の一端を先日の「
向陽学府合同学校保健委員会」で垣間見たように気がしています。
本会の中で、今年度8月に向陽学府の小学校6年生81名と中学校3年生52名に実施したアンケート調査の結果が発表されました。本調査は、「自分にはよいところがある」など5項目に対して「ある」「どちらかといえばある」「どちらかといえばない」「ない」の4件法で答えさせるものです。私が注目したことは、「自分にはよいところがある」「お家の人はあなたのよいところを認めてくれていると思う」の「ある」「どちらかといえばある」の合計値です。「自分にはよいところがある」は小学校6年生の肯定値が87.6%であり、これでも十分に高いと思うのだが、中学校3年生の肯定値は88.4%と、わずかながら上昇しているのです。「お家の人はあなたのよいところを認めてくれていると思う」についても同様の傾向が見られ、小学校6年生の肯定値は95.1%であり、中学校3年生になるとなんと98.1%と上昇するのです。こういった項目については、年齢が高くなるにつれ、肯定値は低下する傾向になるのが一般的であると思われるのですが、向陽学府においては年齢が高くなると肯定値も高くなっているのです。
年齢が高くなると、周りから要求されることや期待されることも高くなり、そのたびに自分自身に対して「なんでうまくできないんだろう」「こんなこともできない自分はだめだなあ」と思うことも増えるでしょう。加えて親の期待も高まる中で「どうしてあんたはそんなこともできないの!」なんてついつい言ってしまうものです。でも、本学府の家庭の多くは、子どもの良さを認める温かさがあり、そのために子ども自身も自己肯定感を高く保つことができているのだろうと推察します。
学校においても、子どもたちが「やりたい」と思うことに積極的に挑戦させる中で、自身の良さを一つでも多く感じられるような日常を送れるように工夫していきます。
保護者向けの話
私たちは「瞳を輝かせ 最後までやり遂げる子」を目指す子ども像として掲げています。これは、自分の意見や感情をあるがままに表現し、それでいて周りとうまく折り合いをつけられる子とでも言えるでしょうか。
このような子どもを育てるために、「子どもが育つ環境」を整えるべく、「
生活リズムを整える」「
場を整える」「
言葉を整える」など、様々な工夫をしていることは前回ホームページの中で紹介しました。今日は、教師としての私たちが子どもたち一人ひとりにどのように接するように心がけているかを中心に書かせていただきます。子育てをするうえでも、何か参考になればと思っています。
子どもは誰しも教師に愛されたい、ほめられたいと思っています。これは、低学年に限ったことではありません。だからこそ、私たちは偏った愛情表現をすべきではないと考えています。
「偏った愛情表現」を、例を挙げて紹介すると、1つ目に「条件付きの愛情表現」が挙げられるでしょう。テストの点数のいい子だけほめる、先生の指示を聞けた子だけほめるといったほめ方や、逆に「○○しない(できない)と嫌いになるよ」といった叱り方もこれにあてはまるでしょう。2つ目に「教師が先回りして意思決定する」ことも挙げられるでしょう。これは、「あなたたちのため」「これをやっておけば・・」と前置きをして子どもに何かをさせるというものです。これだと、教師が指示をして子どもはそれに従うという形になってしまいます。
最近、「いい子症候群」という言葉があるそうです。必要以上にいい子であろうとする、自分を抑えて周囲の人の期待に過剰に応えようとすることが特徴として挙げられるそうです。先に述べたように、私たちは自分の意見や感情をあるがままに表現できる子どもに育てたいと思っていますので、この「いい子症候群」の特徴とは真逆になります。
そのために、無条件の愛情を注ぎ、子どもたち一人ひとりに本気で向き合うこと、そして寂しい思いをさせないこと、まずはここから始めるしかないかなと思っています。
保護者向けの話
この日(9月18日)は、「学校公開日」ということで、保護者の皆様に子どもたちの授業の様子を見ていただきました。今年度初めての取組となります。感染症対策の一環から、学年別に優先的に公開する授業時間を設けるなど、新たな取組も行いました。それぞれのご家庭の都合もあったでしょうが、快くご協力いただけたことで、密集空間を作ることなく、スムーズに運営することができたと感じています。
公開日を終えて、素直に「やって良かった」と感じています。学校でどのような教育活動を行っているのか見ていただけたことで、保護者の皆様にとっても安心していただけたのではと思っています。子どもたちも、いつも以上にいい表情で授業に取り組めていたように思います。中には、下の写真のように、親子で工作をするような授業もあり、微笑ましく感じました。
公開日を終えての保護者からの感想も拝見させていただきました。「みんな楽しそうに授業を受けていた」「伸び伸びしていた」「みんな元気が良くて楽しかった」「進んで発表している子が多く、積極的でいいなと思った」「授業の雰囲気がいい」など良い評価をしていただいた方が多くいて、これも嬉しかったことです。中には、「学校公開日を設けていただきありがとうございました。久しぶりに生き生きと学ぶ子どもたちの姿が見れて嬉しく思った」「先生方のご苦労に感謝します」など、私たちへの労いの言葉もあり、疲れも吹き飛ぶような思いにさせていただきました。
保護者向けの話
子どもたちが落ち着いて学習・生活に取り組める環境づくりの工夫として、これまで「生活リズムを整える」「場を整える」について書いてきました。今日は「言葉を整える」について書いてみようと思います。
前回も書きましたが、これまでの教職経験から考えると、学校の「荒れ」は、まず教室や校内が何となく雑然とする「場が荒れる」ことから始まり、次第に「てめえ、このやろう」をはじめ場をわきまえた話し方ではない、ひそひそ話が多いなど「言葉が荒れる」状態に移ってきます。さらに進行すると授業妨害や暴力、器物損壊など「行動が荒れる」状態になります。こうした負の連鎖を断ち切るためにも、「荒れ」の反対の状態を意図的に作っていく必要があるのです。
ここまで読まれた方は「言葉が荒れるのは、気持ちが荒れているからじゃないの?」と感じた方もいるかもしれません。しかし、最初は軽い気持ちで汚い言葉を使ったり、人を傷つける言葉を言ってみたりするのです。自分で言った言葉を改めて自分で聴くことによって、気持ちは次第に荒れてくるのです。概して言葉が先で、気持ちの荒れはその後です。だからこそ、意識して美しい日本語を使う必要があるのです。
東京大学大学院教授で脳研究の第一人者でもある池谷 裕二氏は、著書の中で、楽しいから笑顔になるのではなく笑顔を作るから楽しい気持ちになる。自信があるから姿勢が良いのでなく、姿勢を正せば自信が持てる と書かれています。つまり、「まずは形から」で幸福になれるというのです。
学校でも、教師自身が「てめえ、このやろう」など汚い言葉や人を傷つける言葉を使うのは問題外、大声で感情的に叱ることもやめようと話しています。オランダイエナプラン教育の創始者であるペーターセンは、子ども同士、子どもと大人が対話することを重視する一方、言葉の氾濫が学習活動の目的を不明瞭にすることを避けねばならないと述べています。
本校の子どもたちを見ると、総じてお互いを気遣った優しい言葉・美しい日本語を遣っているように感じています。きっと、それぞれの子どもが育つ各家庭において、親が率先して美しい日本語で会話されているからだろうとも感じています。
保護者向けの話
前回は、子どもたちが落ち着いて学習・生活に取り組めるように、「生活リズムを整える」ことに気を配っていることをお伝えしました。今回は、「場を整える」です。
これまでの教職人生を振り返ってみると、学校が何となく「荒れている」「落ち着かない」「ざわざわしている」と感じるときの第1段階は、場が荒れてきています。具体的には、校内の各所にゴミが落ちている、靴やトイレのスリッパがバラバラ、教室内の掲示物が剥がれたままになっているなどの何となく雑然とした感じになります。
私が本校に来て間もなく、何人かの保護者から、「校内に入ると、廊下の隅に埃がたまっている」「校内にゴミが落ちたままになっている」などのご指摘を受けたことがありました。これを良い機会に、職員にも呼び掛けて「場を整える」ことを全職員で意識するようになりました。
今年度は、校内のゴミや埃などほとんどなくなりました。そればかりか、下記写真のとおり、廊下や教室内の掲示物を見ると、実に整然と並べられており、学級担任の思いがよく見えるものになっています。靴やトイレのスリッパもきれいに揃っていることが多くなりました。子どもたち自身でポスターを作成するなどして、自分たちで場を整えようとしていることも今年度の良い表れです。
私は、我が家の子育てにおいても、「勉強しなさい」とは言ったことはありませんが、玄関の靴をそろえることや、勉強机の上や周りをきれいに整理整頓することについては厳しく言った覚えがあります。家でも、学校でも、場が整っていると、子どもの気持ちは何となく落ち着くものです。
保護者向けの話
このホームページで何度か書いていますが、今年度は昨年度以上に子どもたちは落ち着いて学習や生活に取り組んでいます。加えて、2学期に入って、ほとんど欠席もなく、子どもたちの表情もいいのです。これには、幾つかの要因があるでしょうが、学校での生活環境を整える中で、私たちが特に配慮・工夫していることもあります。家庭内で子育てをするうえで何らかの参考になればと思い、まとめてみることにします。
まず、「生活リズムを整える」ということです。2年生以上の保護者の皆様はお気づきかと思いますが、本年度の日課表は昨年度までのものよりシンプルになっています。昨年度まで「A日課」「B日課」の2パターンありましたが、本年度はこれをなくしました。「B日課」になると、朝の会を早め、給食の始まりを早くして5校時の始まりも早くするというもので、これは往々にして教師側の都合によります。
日課のパターンが増えると、それだけで子どもたちの生活リズムは微妙に変化します。このことにより何となく落ち着かない子どもも出てくると考えられます。だからこそ、日課表は1つにして、いつも同じリズムで生活できるように工夫しています。
年齢が小さいほど、この「生活リズム」というのは大事な要素になります。同じ時間に起きて、同じ時間にご飯を食べて、同じ時間に寝る…大人は「同じ生活は刺激がない」なんて言いますが、子どもはこのマンネリこそ、心の安定を保つには最も重要なことになります。
昔、私が学級担任だった頃、子どもの保護者から「うちの子が家で勉強しません。どうしたらいいですか?」とよく相談を受けました。こんな時私は「歯磨き」に例えて次のように話をしました。「人間は、歯磨きをしないと虫歯になる・・などという考えより、歯磨きするのは面倒くさいという思いの方が勝ってしまいます。でも、食事の後に歯磨きをする習慣がついてしまうと、逆に歯磨きしないと何となく気持ち悪い感じがします。勉強もこれと一緒です。家庭生活の中で、毎日、同じ時間に勉強するように習慣づけするのです。子どもが勉強している時は、親も子どもの横で読書でもしていればいいと思います。そのうち子どもも、勉強しないと何となく気持ち悪いと思うようになりますよ。」
つまり、理屈で「こうすべきもの」ということは、頭では分かっても体はその通り動いてくれません。体内時計にしみ込ませてしまえば、毎日同じリズムで生活することが子どもの心の安定につながるし、ひいては子ども自身で自分を伸ばそうとします。
最後に、竹の子1組の取組を紹介しておきます。下の写真にあるように、授業の始まりと終わりの時間を、時計の絵を示しながら見える化しています。このことにより、子どもたちは先の見通しが持てるようになります。先の見通しが持てると、子どもの心は安定します。単純なことのようで、大人の側にこういった細かな配慮ができるか否かで、子どもの心の落ち着きは変わってくるものだと思います。
保護者向けの話
本日(9月11日)、5年生保護者宛に「観音山自然体験教室」に関する学校の思いを記したおたより(詳しくは
こちら.pdf)を配布しました。この思いというのは、本校のみならず、学府内にある岩田小・大藤小を含め3校合意のものになります。
学校行事に対する考え方について
どの学校も、どの時期にどのような行事を配置すべきかを考えて、年間行事計画として落とし込んでいます(本校は「向笠っ子カレンダー」という名称です)。実は、「いつ・何をやるか」ということには大きな意味を持たせています。なぜなら学校行事は、単なるお楽しみ企画ではないからです。教室ではできない体験を通してどのようなことを伸ばすのか、さらにはどの時期に行うことで最も効果的なのかを考えて組み込むようにしています。
運動会を例に挙げて説明しますと、今年度は感染症対策の影響により、5月から10月に移動しました。そうすると、運動会という行事のもつ意味合いは変わってきます。5月実施ならば、学年の始まりの時期ですので、運動会を一つのきっかけにして、子どもたち同士が仲良くなることや運動に親しもうとする意識付けになります。しかし、10月となるとそういうわけにはいきません。これまでのファミリー活動や体育を始めとする各学級での授業の成果を発揮するという色合いが強くなります。
観音山自然体験教室を2泊3日で、3校合同で行いたいと考える意味は・・
観音山少年自然の家には、一日かけてもまだ足りないぐらいの広大な山を抱えています。小グループで事前に時間をかけてどのコースをどのように歩くかをじっくり計画を立てること、当日は一日かけてお互いに話し合いながら計画した道を探しゴールを目指すことができます。いわゆる「冒険ラリー」といわれるもので、これに丸一日かけて取り組ませたいと考えます。
さらに、子どもたちは、「この機会に他校の子どもたちと友達になりたい」という強い思いを持っています。これはとても大切にしたい思いです。ついては、冒険ラリーとは別日に、他校の子どもたちと混合グループをつくり、一緒に山登りをする時間を作りたいと考えています(事前にはリモートで遠隔授業のようなこともできないかと検討中です)。もちろん、こういう機会なので、クラスの子どもたちだけで何かやれることもやらせてあげたい…このように考えると、どうしても2泊3日は必要になります。
保護者の思いを大切に…
これまでを読むと、学校の思いばかりが先行するようですが、「より安全な対策を施したうえで、保護者及び子どもたちにとって安心できる」学校行事であることが何より優先されることは言うまでもありません。
活動時ばかりでなく、食事・風呂・就寝時に至るまで、綿密に感染症対策を講じます。それでも不安なことや疑問点などあれば、どんどん教えてほしいのです。保護者の皆様が安心して子どもを観音山に送り出せる状況を作ることが私たちの役目であると考えていますので、気になることは何でも言ってください。
保護者向けの話
先日、通信票「かがやき」が全家庭から学校に戻ってきたと報告を受けましたので、保護者の皆様がどのようなことを書いていただいたのか、遅まきながら、私も全員分、拝見させていただきました。
どの方のものも、とても丁寧な、心のこもったお手紙のようで、読ませていただく中で、心がほっこりしてきました。1学期の子どもの成長を書いていただいたばかりでなく、コロナ禍での対応を含め教師へのねぎらいや「ありがとうございます」などの感謝の言葉も添えていただいている方が多くありました。
前にも書いたことがありますが、私は学級担任の頃、クラスの保護者に助けられて何とかやれたという思いを持っています。その頃は一生懸命やったつもりでも、今から考えると「こうしておけばよかった」など後悔することもよくあります。そんな拙い取組に対しても、保護者から「ありがとうございます」や「先生の頑張りが嬉しいです」などの励ましの言葉をいただくと、「次はもっと…」とさらにがんばろうという気になったものです。
私もそうでしたが、自信満々でやっている教師はいないと思うのです。何をやれば確実に子ども一人一人が伸びるのかなど正解めいたものはないわけですから、まさに子どもの表情を見ながら試行錯誤の毎日を過ごしているわけです。特に今年度は、新学習指導要領の本格実施の年で、授業改善をと言っているところに感染症対策が重なりましたから、本校の職員も、それはそれは不安を抱えながらも懸命に取り組んだと思います。通信票についても、評価方法が変わりましたので、随分長い時間をかけて、職員で話し合いを重ねたうえで、どの職員も迷い悩みながら心を込めて作成しました。こういう心持ちのときに、保護者からの励ましは本当に力になったと思います。改めて、感謝申し上げます。
学校としても、今後とも保護者との連携は密にとっていこうとよく話しています。子どもが良い表れをして担任が嬉しい気持ちになったらそれを保護者に伝えるということもあるでしょうし、逆に担任から見て子どもが心配な表れを見せたら、保護者に「心配しているのですが・・」と相談をかけることもあるでしょう。保護者からも何でも気軽に言いやすい雰囲気ができればいいなと思っています。何か不安なことなどあれば、私で良ければ、いつでも来ていただければと思っています。コーヒーでも飲みながら・・。今後ともよろしくお願いいたします。
保護者向けの話
2学期が始まり、1週間余りがたつ。
この間、子どもたちはほとんど欠席がないばかりか、総じて表情が明るい。
この当たり前の日常が、本当はものすごく大変なことでもあり、とても嬉しいことでもある。
先日、このことを校長室で教頭と2人で話していたところ、教頭はこんなふうに話し始めてくれた。
「この学校に来て思うことがあります。この学校は決して規律が厳しいわけでもない。でも秩序がないわけでもない。子どもたち自身が何をしていいのか、何をしてはいけないのかをちゃんと考えることができています。マスクをする、外すにしても、お互いに注意しあっているし、その注意をちゃんと聞いていますね。」
なるほどと思った。全職員で合言葉のように言ってきた、目指す子ども像である「自主」「自治」の姿が体現出来始めているととらえると、これは嬉しいことだ。
「もう一つ、感じることがあります。授業の中で話し合い活動をさせようと思い、子どもたちに指示すると、あまり細かいことを言わなくても、主体的に小グループで話し合いを始め、ホワイトボードにまとめ始めます。すでに子どもたちの中に話し合い活動の方法が根付いているということかもしれません。」
さすがに、本校の教頭である。学校の様相を冷静に分析できており、頼もしい。
学校に来ると、いろんな子がいろんな発言をして、その一つ一つがとてもキラキラしていて、お互いにいろんな発見ができることが楽しい、さらに、言いたいことを言い合えることで心のぬくもりを感じることができる・・子どもたちがこんなふうに感じてくれていればこんなに嬉しいことはない。私は毎日の授業参観で、今はどの学級の子どもたちもこんな気持ちをもってくれているのではないかと感じることができている。手前味噌ながら本校職員を誇らしく思う。
もちろん、今の本校の状態がいいのは、すべての土台である「家庭」が安定しており、子どもたちが安心して学校に足を運ぼうと思えるおかげであり、さらに学校と歩みを一にして、子どもたちを励まし背中を押してくださっている保護者の姿があるのは言うまでもない。
今の状態をさらに進化すべく、私たちもさらに「子どもがより良く育つ環境」を整えるべく、笑顔で子どもたちと向き合っていきたい。
保護者向けの話
「希望の光です・・」
先日、PTA奉仕作業及び役員選挙実施後、PTA3役の皆様にはお時間をいただき、運動会を始めとする2学期以降の学校行事のあり方について協議をさせていただいた。
学校側からは、考え得る万全の感染症等の対策を講じたうえで予定通り学校行事を実施する方向を模索したいということ、ただし延期や中止の判断をせざるを得ない場合もあるということをお話しさせていただいた(「2学期行事の実施のあり方について(向笠小).pdf」参照)。
PTA3役の皆様からは「学校行事を行うことで子どもを育てたいとする学校の思いは保護者に伝わっていると思いますよ。子どもたちにとっては、こういった学校の姿勢というものがモチベーションになっています。頑張ればあとできっといいことが待っていると思えることが子どもたちにとっては希望の光です。」とまで言っていただいて、正直、涙が出るほど嬉しかった。
「安全策ばかり考えていたら何もできない」
上記の台詞は、私がまだ行政機関に勤務していた頃、ある職員から投げかけられたものである。「未だにこんなことを考える人もいるんだ」と驚きを感じたことを記憶している。
今回のことで言うと、私は感染症対策を強めれば活動内容は縮小する、逆に活動内容を充実させようとすれば感染症対策には目をつぶる・・といったように、この2つを同軸で考えるべきではないと思っている。こんな考え方をすれば、「感染症が怖いから今年は何もしない」となりかねない。
この2つのことは別次元の問題である。学校行事に限らず、何かを行おうとすれば必ずリスクはついてくる。こういった課題を一つひとつ整理して対策を講じていけばきっと充実した活動はできるはずだと思っている。子どもたちにとっては全てが一生に一度の体験になる。「今年はコロナだから我慢してね」などとは言いたくないし、言ってはいけないとも思っている。
「石橋を叩いて渡る」という言葉があるが、私たちは叩きすぎるくらい石橋を叩こうと思っているし、保護者の皆様からの不安等の声も積極的に聞きたいと思っている。しかし、最も大事なことはきちんと「渡る」ということであるとも思っている。
「どんな状況でも、子どもが育つ環境を準備する」
感染症対策と活動内容の充実は別次元で考えるなどと書くと、「どんなことがあっても行事は行うのですね。中止することがあるというのは考えが矛盾しませんか?」との批判がありそうだ。私は、どんなことがあっても行事を中止しないとは言っていない。むしろ、危険を回避するために撤退することはあり得る。感染者等が発生しているのに平然と学校行事を行っている方がおかしいのである。
運動会等の学校行事というのは、あくまで「こんな子どもを育てたい」という目的を具現化するための一方策である。したがって、学校行事ができなくなっても、「こんな子どもを育てたい」という目的自体は何も変わっていないし、なくなってもいない。だから万が一、学校行事を中止する事態に陥ったとしても、当初の目的を達成すべく別の方策を検討するようにしたい。私たちはどんな状況になったとしても「子どもが育つ環境」を整えるべく知恵を絞りたいと考えている。