校長室から

公正、公平…そして発達の話(校長室から)

2020年6月24日 14時27分
保護者向けの話

 新学習指導要領において、道徳が特別の教科となりました。指導すべき価値項目の一つに「公正、公平、社会正義」があります。これについて、学習指導要領では小学校5・6年生で「誰に対しても差別をすることや偏見をもつことなく、公正、公平な態度で接し、正義の実現に努めること」と規定されています。

 「公正」と「公平」は似ているようですが、ニュアンスに微妙な違いが見られます。
 例えば、私は目が悪い(近視)ので、裸眼だと生活に支障をきたす場面があります。「それは君の見ようとする努力が足りない」などと言われても努力で見えるようになるものではないし、「みんなが眼鏡をかけていないのだから、君だけかけるのは不公平だ」と言われても困ります。そうなのです。「公平」とは、個々の状況を考慮せずに、全員に同じものを同じ量だけ与える、もしくは全員に与えないことを一般的には指します。でも、「公正」の考え方は、全員が等しく生活しやすくなることを目標に、個々の視力に応じて眼鏡をかけて生活して良いという考え方です。


 これまで「近視」を例に極端な説明をしましたが、子どもたちは誰しも得意・不得意があり、これが発達上の課題として表れることもあります。
 例えば、「みんなと同じ授業のスピードでは理解が難しい」「大勢の子どもがいる教室では落ち着いて学習できない」といった悩みをもつ子もいるでしょう。これらについても、努力や根性では解決できる課題ではありません。どの子どもも等しく自分のペースで生き生きと活動させたいという目標のもと、個の状況に応じた環境を整えるというのが本校における「公正」の考え方になります。


 学級担任の指導や支援があればクラスの中で学習が進められる子どもは良いのですが、中には学級担任の1回の説明だけでは頭の中を素通りしてしまう子どももいます。そういった子どもには学習支援員が横について復唱するといった特別な支援を行うことが「公正」と言えるでしょう。先述のように「みんなと同じ授業のスピードでは理解が難しい」「大勢の子どもがいる教室では落ち着いて学習できない」子どもには、通常学級だけでなく、個別で学習できる環境(特別支援学級)も作ってあげることも必要になるかもしれません。

 
 こういった特別の支援は、一人ひとりの子どもに違う環境を与えるということで言えば「公平」ではないのかもしれません。しかし、どの子にも等しく生き生きと活動させたいという大きな目標のもとに行っていることから「公正」と言えるでしょう。
 もしも、「あの子だけずるい」などと思う子どもがいたら、「それは違うよ」と考えを正していかねばと思いますし、今のところ、本校の子どもたちはそういった偏見の目で見るようなことはないようです。