校長室から

大阪府吹田市のいじめ問題を考える(職員向け配布資料から)

2019年6月14日 13時59分
教師向けの話

 「大阪府吹田市の小学校5年女児が同級生から長期の集団いじめを受けていたにもかかわらず、学校や市教育委員会は約1年半にわたって放置されていた」というニュースを耳にして、私は何だかいたたまれない思いになり、急いで自分の思いを綴り、職員に配布しました。
 以下は、その資料の内容を再編集したものです。


1 事件概要(静岡新聞6月14日朝刊から抜粋)
○ 大阪府吹田市の市立小に通う小学校5年女児が同級生から長期の集団いじめを受けていたにもかかわらず、学校や市教育委員会は約1年半にわたって放置していた。
○ 女児の担任だった複数の教諭が、いじめを訴えたアンケートを紛失、破棄していた。1年次のものは破棄され、2年生の2学期のものは紛失していた。
○ 当該女児は、2年生1学期に生活アンケートで被害を訴えたが担任は対応せず。その後、女児は1年半に渡っていじめを受け続けた。
○ 当該女児の保護者は、兄弟の担任にも被害を訴えたが、担任は加害男児に注意や指導をせず、校内で問題を共有することもなく、いじめを放置した。
○ 同校では、いじめアンケートの取扱いを各教諭に委ねていた。

2 いじめの定義とは
○ 平成25年以降、いじめとは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」と定義されており、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとされている。
○ つまり、女児がいじめを訴えたことを受けて、学校は即座に本事案を「いじめ案件」として対応する必要がある。いじめられた児童生徒の立場に立たなければならない教師が、「この案件はたいしたことない」などと勝手に考えることはもはや許されることではない。

3 教師の仕事は「想像力」の上に成り立つ
○ 教諭の職務内容は、学校教育法第37条に「教諭は、児童の教育をつかさどる」と規定されている。「つかさどる」と規定されている以上、教諭は児童の教育の一切について責任を持たなければならない。その責任は大変重い。
○ 私は常々、教師の仕事は想像力がないとできないものだと考えている。子どもの表情を見てその奥に隠された思いを「想像する」、何か教育活動を行う前にどんな危険が隠れているだろうかと「想像する」・・・あらゆる場面で「想像力」を働かせることができないと児童の教育をつかさどることなど、到底できないと思う。
○ そういった観点で本事案を見ると、明らかに教師側の想像力の欠如である。当該女児にしてみれば、いじめアンケートに書くだけでも緊張しただろうし、そもそもアンケートに書こうと思うまでによほどの勇気を要したに違いない。そういった女児の思いを、担任は想像することができなかった。この責任はやはり重すぎる。
○ 教師が想像力を働かせるためには、子どもを理解しようとする意識を強く持つことは言うまでもない。そのうえで指導場面と支援の場面ははっきりと切り分ける必要がある。指導すべき時は、子どもの前面に立ってしっかり話す。しかしそれ以外の場面では後ろに回ったり横に行ったりしながら子どもの行動を見守る。その際に細かな安全配慮を行うのである。

4 校内で問題を共有できないのは・・
○ 「いじめアンケートの取扱いを担任に委ねていた」この言葉だけを捉えると、何だか校長は各担任の力量や資質を信用していたとでも勘違いしそうだが、実はこの姿勢にこそ、大きな問題が隠されている。
○ 子どもの表れは多様であり、そもそもいじめなどというものは担任の目の前で繰り広げられるわけがない。隠れたところで起こるからいじめなのである。だからこそ、すべての教職員ですべての子どもの小さな表れを見逃さない体制作りが必要なのである。これは一人の教員を信用しているとかしていないの問題とは別次元である。
○ 子どものことを職員室で語り合える雰囲気こそ大事である。本校の職員はすべての子どものために仕事をしているのだから、愚直に子どものことを理解しようと語り合える集団でありたい。

4 おわりに
○ 私は、教師というのは「心配性」であるぐらいでちょうどいいと思っている。でも同時に、うろたえる姿を晒してはいけないし、特に子どもの前では堂々としていたいとも思う。
○「私は、しっかり学級経営を行っているので、うちのクラスでいじめなど起こるはずがない」と考えるのも危険である。
○ 大人だっていろいろと間違うし、悪いことだって考える。ましてや子どもである。学校という場で、何度でも間違っていいと思う。そうやってどこかで心配しながら子どもを見守り、間違いそうになったらそっと正してあげられる、そんな職員集団でありたいと思う。