校長室から

子どもたちに学ぶことの「楽しさ」を伝えたい(校長室から)

2020年7月7日 12時25分
保護者向けの話

 前回(7月2日)、本校ホームページに記載した「「許せる人」「感謝する人」にと願いながら・・(校長室から)」の中に、「学ぶことは変わること」と書きました。
 学ぶことを勉強することと言い換えれば、私自身、高校生ぐらいまではそのことが何より苦行でした。なぜなら、一生懸命に暗記してその知識量をテストで競う、点数を見て一喜一憂する日々に、実のところ、自分に何が身についたのかも実感できず、楽しさなど見出すことができませんでした。
 しかし、大学以降、「学ぶことは何より楽しい」ことだと気づいてしまいました。世の中には自分が体験していない出来事が山のようにありますし、知らないこともいっぱいあります。何も知らなかったときは一面的な見方しかできませんが、何かを一つ一つ知ることでいろんな見方ができ世界が明るくなるような感覚にさえなります。このことを、岸 武雄さんという詩人が「わたしはひろがる」という詩の中で表現しています。一節を紹介します。

わたしは小さいとき、
おやつのお菓子が弟より大きくないとおこった。
じだんだふんで泣いたこともある。
わたしが世界のすべてであった。
わたしが世界のすべてであった。

やがてわたしは、弟もわたしと同じように、
大きいお菓子をほしがっていることが、わかってきた。
わたしはけんかしながらも、
同じように分けることをおぼえた。

ときには、弟があまりうまそうに食べるので、
自分のぶんも分けてやった。
弟といっしょにお菓子を食べると、
お菓子の分量はへったが、なんとなく楽しい。
こうして、わたしの中へ弟がはいってきた。
こうして、わたしの中へ弟がはいってきた。

 この詩はまだまだ続きがあります(全文がお読みになりたい方はこちら.pdf)。弟と一緒に食べることを知って「お菓子の分量は減ったけど楽しさを知った」とあります。まさにこれが「学び」だと思うのです。学ぶことはこのように変わることであり、変わることは楽しいことなのです。極論を言えば、小学校教育では、こういった「学ぶことの楽しさ」を子どもたちが実感できれば、目標の大部分は達成していると言ってもいいかもしれません。

 どんな仕事でも、うまくいかないことはあります。スランプにも陥ります。その時に「何が課題なのか」「どうすればいいのだろう」と考え、自分なりに行動に移していく中で、ある時ふと解決のヒントが見つかる、それが次の仕事へのステップになります。子どもたちが大人になってどんな仕事に就くにしても、うまくいかないから簡単にあきらめるのでなく、頑張って成功してほしいと願うのは私たち大人は皆同じように思うでしょう。
 子どもたちの学びも同じです。課題を解決するために、時に友達と相談したり議論したりしながら、自分なりにいろいろと調べる中で「分かった」と思う瞬間に出会う・・簡単にあきらめずに、この楽しさに出会わせたいのです。そのためには、大人が先回りしないことだと思っています。ヒントを言いたいのをぐっとこらえて、どっしり構えて見守るといったことも必要だと思っています。