「許せる人」「感謝する人」にと願いながら・・(校長室から)
2020年7月2日 12時15分 教育の本当の成果は10年・20年先に分かるとよく言われるとおり、教師なら誰でも教え子の将来を夢に見ながら教育活動を行います。
かくいう私も、昨今のネットやマスコミでの徹底的な「他人たたき」を目にするたびに、本校の子どもたちにはぜひ「許せる人」になってほしいなあと願うばかりです。
誰かを「許せない」と感じるのは、その人の価値観とは違う言動を見たときに沸き起こる感情で、その人の「正義」の名のもとに他人たたきを始めるのだと考えられます。その気持ちも分からなくはないのですが、私はやはり本校の子どもたちには「許せる人」に育ってもらいたいのです。
「正義」を振りかざし徹底的に自分の価値観と合わない人を叩きのめすと、もしかしたら当の本人は気持ちがいいのかもしれません。でも、相手にも理由もあるでしょうし、そうせざるを得なかった状況もあるかもしれません。そもそも人の数だけ「正義」はあるし、国の数だけ「正義」はあります。お互いに「正義」ばかりを振りかざしているとけんかや戦争は絶えません。ぜひ、子どもたちには相手の「痛み」に思いを馳せられる人になってほしいものです。
さらに言えば、相手を許せず文句ばかり言う人のまわりからは、どんどん人は遠のいていきます。結局は寂しい人になってしまうと思うのです。子どもたちにはそんな寂しい思いはさせたくありません。作家の曽野綾子氏は、著書の中で、「感謝の人」のまわりにはまた人が集まる、「文句の人」からは自然に人が遠のくのと対照的であると述べています。その通りだと感じます。
では、どうすれば「許せる人」になれるのでしょうか。まず、相手の言い分を聴こう、相手を取り巻く状況を見てみようと思える心のゆとりもつことだと私は思います。さらに言えば本物の学びを体験することだと考えます。知識を得るだけが学びではありません。学ぶことは変わることです。「ああ、そういう見方もあるんだ」「そうやって考えてみればいいんだ」と、見方や考え方が広がる、深まることこそ、本物の学びです。子どもたちにこういう体験をさせようと、先生たちは日々頑張ってくれています。
「日本は、不寛容な社会になってきている」と評する人もいるようですが、まさに失敗を許さない雰囲気があり、「窮屈な世の中になったなあ」と感じることも多くあります。本校の子どもたちには、こんな窮屈な世の中を創り出す人にはなってほしくないと願うばかりです。