校長室から

子どもに任せることで見えてくるもの(校長室から)

2020年6月30日 12時01分
保護者向けの話

 私には2人の娘がいるのですが、子育てをするうえで一つだけ決めていたことがあります。それは、娘たちの成長の邪魔だけはしないようにしようということです。植物には日光や雨、土の養分等が必要ですがいずれもやりすぎるとうまく育ちません。子どもも親の愛情や安心して生活できる環境が必要ですが、過剰に与えすぎるとまっすぐに成長することを阻害することがあります。


 娘たちは小さい頃、いずれも好奇心旺盛でした。地べたに座り込んでずっと何かを見ていることもあれば、気に入った遊びは何回も何回もやっていることもありました。親である私の方が、根負けしてしまいそうになるほどでした。でも、「もう、そんなことはやめて帰るよ」とか「○○する時間だよ」などと余分なことを言うのはグッと控えました。興味関心をもって自主的にやっていることを大人の都合でやめさせるのは、子どもの成長を遮ることになりかねないと思ったのです。

 なぜこのような子育てをしたか、それは教師としての経験が大きいと言えます。「○○をやりなさい」「○○をやってはいけません」と教師が細かく指示すると、子どもは自分の頭で考えるのをやめ受け身になります。せいぜい教師にどうやって反抗しようかということに頭をつかうぐらいで、いずれにしても生産的ではありません。

 その昔、6年生の学級担任になった時のことです。クラスのメンバーは変わらず、担任である私だけが新しく入るという形になりました。4月早々、子どもたちは「このクラスは5年の時の担任のせいで悪くなった」と私に訴えに来ました。私は、「あまり人の悪口を聴くのは好きではない」と前置きしながら、「じゃあ、私は余分な口出しはしないから、自分たちの力で学級のルールも作り、いいクラスにしてごらんよ。」と提案しました。あの時の子どもたちのびっくりした顔は今でも忘れられません。新しい担任である私に期待していた子どもたちは、私からの提案に戸惑いながらも時間をかけて話し合っていました。授業も講義形式はやめ、子どもたち自身で話し合いを中心に授業を進めるように心がけました。
 しばらくして、子どもたちに2つの変化が見られました。1つは「人のせいにしなくなった」ことです。もう一つは「子ども同士の会話が増えて楽しそうになった」ことです。

 立場が代わって校長となった今も、「子ども主体」の教育活動を進めたいという思いは全く変わりません。ましてや本校の子どもたちは、自分たち自身で「やりたい」という思いは強く持っているように感じます。先生たちも意識してくれて、なるべく子どもたちに任せよう、子どもたちの思いを大切にしようとしてくれています。最近は「子どもたち、けっこうやるもんだなあ」と感心させられることも多く、私は毎日、新たな発見をすることができています。子どもたちの変化に出会える瞬間は、何物にも代えがたい、楽しい時間です。